12回。
細く華奢な白い足。いつも律儀に折られた学校指定の紺の靴下に、薄っぺらい黒茶色のローファー。
脇腹に、刺さり、それが12回。
蹴られるたびに、白い制服に、靴の方が付くけど、12回分重なって、それはひとつの形をしている。
最後に、脇腹を突つかれて伸びた首を、顎からその足で跳ね上げられた。
口の中が血の味がする。
彼女は、満足したのか、置いてあった鞄を拾い上げて、僕に背を向ける。
細い身体。押し倒してしまえば、すぐに壊れてしまいそうな硝子細工みたいな腕とか足とか首とか。
制服が透けて、下着が見える。
その歩くスピードも、さっきまで僕を蹴っていたその足が踏み出すリズムも、振る腕の先が描く弧の角度も。
胸に突き刺さるのだ。何万回蹴られても、その痛みになんて敵わない。
壁の向こうに、その姿が無くなって、僕は大空に仰向けになる。
それでも、僕は弱いのだ。
この空は、青。君の頬は、赤。
4月の果て。
真っ白い新校舎の2階が1年生の教室で。
始業式の後、ホームルームの間。僕は、窓の外に見える桜ばかり見ていた。
まだ慣れてない制服の袖口が硬くて頬杖付いてる頬を押す。
桜は、遠くから見ると、桜色だけど、近くで見ると、もっと白っぽい。
担任教師は、若い女の教師で、間宮と言った。
間宮って言ったら、リンゾウだっけ?だけど、何をした人か忘れた。
間宮の話と、生徒の少しガヤガヤとした騒音と、風の流れる音と。
桜の花弁が散って、僕はそれを追う。
「したらな。」
おぅ。と僕は、そいつの背中に挙げたか挙げてないのかわかんないくらいに手を挙げて、そう言う。
帰りの下駄箱。中学までスニーカーだったので、高校のローファーは硬くて嫌だ。
鈍い音をして、靴が地面に落ちる。
無造作に、足を突っ込んで、とんとん。と2回ずつ。つま先を蹴って、踵を入れる。両足。
昼の校舎は、電気が付いて無いので、薄暗くて、その分、外が明るく見えた。
ガラスの大きなドアを開けると、風が吹き込む。
世界は真っ白くて、その中に、桜の色が混じる。
それも白に近い桜は、境界を無くして、白の世界に僕は、風だけを感じる。
少し下がった鞄を上げなおして、ローファーを踏み出すと、何かを蹴った。
桜の花弁・・・・・じゃない・・・小さな・・・・・紙切れ?
風に舞ってる花弁みたいに、ひらひらと落ちる、いくつかの紙切れ。
ひとつ拾うと、小さな文字が断片的に見て取れた。
上を見上げると、屋上が見えた。
女の子が僕を見ていた。僕は、逆光で輪郭までしか見えない。
彼女が頭を引くと、太陽が見えた。空は白くて、雲ひとつなくて。
他の紙切れを拾うと、いくつか言葉が繋がった。
それは、多分、ラブレターだ。
パンツが見えてるんだよ。毎回毎回。見せてるのかと思うぐらいに。
今日は白いな。
度々、軋む肋骨に、僕はそんな事思っていた。
別に彼女との会話なんて無かった。
呼ばれても無いのに来る僕と、呼んでもないのに来る君と。
それが、何の疑問も無い日常のように、僕達はここに来て、彼女は僕を蹴る。
最後は、顎を蹴り上げられて、彼女の華奢な背中を見ながら、僕は空を向いて、胸の痛みを反芻するのだ。
でも。今日は違った。
最後、蹴り上げる足が無くて。
首を上げた所には、赤い色の鮮血があった。
朝露のように、ゆっくりと溜まって落ちる鮮血は、まるで宝石のようで。
僕は、それを掬ってみたかった。
彼女は泣いていた。傷跡は、何本もあった。
彼女もまた、胸の痛みを抱えていたのだと思う。
両手に、血が溜まる。想いのように、血が溜まる。
泣きじゃくる彼女の手を取った。細く。細く。
白い手が、赤に染まる。
いつも二人は、独りきりだった。
僕達は、こう、見えないようなものを掴んでるようにしか生きは、できなかった。
この日、僕達は、何も掴めていなかった手で、お互いの手をつなぐために出会ったのかも知れない。
そう彼女に聞こうと思うけれど、苦手な笑顔で、そうかもね。と言うだろうと思う。
遠くで、夕鈴が鳴る。
次の日、昨日の出来事なんて何も思わないように、僕はその日常にいた。
いつもの場所に彼女が立っていた。木陰に立っていて、まっすぐ前を向いていた。
僕が近づくと、待っていたかのように声をかけてきた。
待ってた。
一緒に帰ろう。
ゆっくり、静かにそう言って僕の横を歩き始めた。
いつも彼女の姿が消える壁の角を今日は、彼女の後ろを付いて歩く。
ゆるやかに彼女は坂を下っていく。細く華奢な白い足。
いつも律儀に折られた学校指定の紺の靴下に、薄っぺらい黒茶色のローファー。
学校なんてトコは、似合わない彼女には、学生服が似合う。
彼女・・・島武は、つまらなさそうな顔で、スカートを揺らし、ゆるやかに坂を下っていく。
その歩くスピードも、さっきまで僕を蹴っていたその足が踏み出すリズムも、振る腕の先が描く弧の角度も。
今日は、胸の痛みは無い。
脇腹を蹴られて無い所為だ。と思ったけど、彼女と同じ高さにいては、彼女の想いも流れてこないのだ。
卒業式。
上履きで、体育館に入っていいように床に敷かれた緑色のシート。靴の滑りが悪くて、歩く度に体がつっぱっるようになる。
ヒル。
式も終わり、教室に帰ろうと立ち上がったところで島武に呼び止められた。
今日は、行かないのか?少し遠くに立っている島武は、右手で前髪を触りながら言う。
行くけど。
じゃあ、裏の所で待ってるよ。
島武は、僕の返答を聞くとそう言って、顔を塞ぐように体育館を出て行った。
律儀に折られた学校指定の紺の靴下。
島武は、学校の裏口の前で立って待っていた。
遅い。
小さくとも低く僕に届くように言う。
ごめん。
急いで出てきて踵を踏んだままの靴を履き直しながら、僕は言った。
島武は、そんな僕を置いたまま細い足を踏み始める。
待てよ。
僕が右足の踵を上げながら言うと、行く所は同じでしよう。と、後ろも振り向かずに島武は言った。
二階の窓側に、島武は本を持って座る。図書館での島武の指定席。
僕は、その隣に座って外を眺めた。
近くの市役所が見える。白い、無機質の建物。冷たそうで、悲しそうなところが島武に似ていると、島武の方を見る。
白に一本、横に赤の線が入った表紙の本の向こうに、真剣にそれを読んでいる島武。
僕は、携帯を取り出してカメラで島武を撮った。島武は、少し怒った顔をして顔を隠すようにして本の位置を上げた。
僕は、そのままファインダーを外の市役所に向けて、シャッターを切る。
空は、雲が低く垂れ込み今にも雨が降りそうで、景色を悲しいコントラストに落としていた。
ヒル。
僕は、何?と返事を返した。
島武は、長い瞬きをした後、僕の方を見て、
私達って、結婚できるかな。
そう、言った。
できるんじゃない。
島武の言葉に少しどきっとしたが、すぐにこう言葉が出た。
もちろん僕達は、付き合ってもないし、親友。とも言えるほど濃くは無い。
ただ、無い存在価値を保つためだけに、寄り添う。そう、少なくとも僕は思っている。
私もそう思う。
苦手な笑顔で島武は返す。
できるといいな。
僕は、他人事のように、微笑んで言った。
――夕鈴を聞いた。
島武は、もう冬だな。とまだ秋茜の飛ぶ秋空を見上げながら言ったそう言えば、陽が暮れるのが遅くなった。
僕は、携帯電話を取り出して内蔵されているカメラで色付けされる雲を撮った。
好きだな。
島武が言う。
関心そうに僕を見る島武の顔に標準を変える。かしゃり。と機械音が鳴って、液晶画面に島武が映る。
島武とは違う、物腰の柔らかそうな女の子。そんな風に見える。
写すなよ。
島武は、顔を歪めて嫌がる。
ははっ。と笑って、もう一枚撮った。顔を隠す手から覗く、島武の顔。
僕があの日、真っ白の世界で見た紙切れは。
完璧じゃなかったけど、僕の為に描かれたラブレターで。
欠片が数枚しか届いて無いけど。
それは彼女の形で。
逆光の中で、彼女は笑ったんだと思う。
島武は、いつもの場所。学校の裏口の前で立って待っていた。
脛まで上げられた学校指定の白の靴下に、まだ慣れていない明るい茶色のローファー。細く華奢な白い足はそのままだけど。
僕は、いくつかの紙切れを手に、島武に手を差し出す。
空は、青で。君の頬は、赤色で。
桜の花弁が舞う中で、島武はその手を取る。
僕と島武は、手を繋ぐ。
僕達は、こう、見えないようなものを掴んでるようにしか生きは、できなかった。
彼女があの日、いつもの場所で待っていたのは、何も掴めていなかった手で、お互いの手をつなぐためだったのかも知れない。
そう聞いたら、苦手な笑顔で、そうかもね。と島武は言った。
夕鈴が鳴る――